1897年-29:帝国主義

 東インド会社が貿易独占権をもつインド綿布が、イギリス国内及び海外市場で毛織物を圧倒するという事態に直面し、イギリス産業資本の起死回生の反撃がはじまる。
 画期的な高性能の綿紡績機、織機および動力機関を開発し、低賃金労働者を長時間働かせて、イギリス繊維産業をマニュファクチャー段階から機械制大工場へとシステムアップすることにより、イギリスが、上質で安い綿布の大量生産国になり変わる。これが狭義の産業革命
 そのために、熱帯、亜熱帯の海外生産地で綿花を買い占め、綿畑を開墾拡大させて安い綿花を大量に作らせて、イギリスに運び込む。労働力が足りなければ、奴隷を運んで売りつける。
 インド綿を市場から駆逐するだけでなく、大量に生産したイギリス綿を、インドを含む海外で大量に売りさばく。妨害する政治勢力があれば粉砕排除し、競合する綿産業があれば潰してしまう。綿を買えといわれても代金を支払えないという相手には、では土地を寄こせ、鉱山採掘権を寄こせ、といった<取引>を強行する。
 なお、イギリス綿を売りつけるため、インドの手織り綿職人たちの目をつぶしたり指を切り落としたりもしたといわれているが、そういうと、「日本軍に正規所属する軍人が、正式命令書に基づき、家人が公式言語である日本語で明瞭に反対拒絶の意志を表明したにもかかわらず家の中に押し入り、同じく日本語で明瞭に拒否を言明する女性を、軍が直接設置し運営する慰安所に連行し、逃亡できないように物理的監禁状態に置いた上で、抵抗の意志を示している女性に強制的に慰安行為をさせたという、そういうことを記載した公的書類が公的に保管されている、といったことはない」、と主張したいアベシンゾーのような者がいるだろうから、本当かどうかは保留しておく。
 ともかく、イギリスのマンチェスターなどランカシャー地方で<狭義の産業革命>が進行中の時期に、インドのベンガル地方でイギリス軍がムガール帝国の地方軍やフランス軍をうち破り、その後もインド全域で、地域や宗教や階層などの対立分裂を煽りつつ、狡猾かつ強硬にインドを植民地化してゆき、遂にインドを英領とし、以後長く貧困と分裂状態に押しとどめて、莫大な収益を本国が吸い上げるシステムを作り上げたのであった。
 帝国主義・植民地システム抜きに説明される産業革命とは、辞書的には間違っていなくとも、世界史的概念とはいえない。インド抜きにイギリス産業革命を語ることは、世界史の歪曲である。・・・などと、教科書程度のことで力まなくてもいいのであるが、まあ今回は、そういうことで。