1897年-30:三角貿易

 肩肘張らずに、のんびり道草話をしたいと思っているのに、ちょっと四角なだけの話になってしまった。といいながら申し訳ないのだが、話の行きがかり上、関連する「三角貿易」についてだけ付け足しておく。
 「三角貿易」についても、辞書を引いてみると、こうある。・・・「二国間の貿易では収支の均衡がとれない場合、第三国を介入させて全体の収支の均衡を図り、貿易量を拡大しようという貿易方法。経済史上、一八世紀に盛んだったイギリス(綿布)、西アフリカ(奴隷)、西インド諸島(綿花)間の貿易が有名。」大辞林
 しきりに「収支の均衡」を強調しているこの説明を<素直に>読んで、イギリス・西アフリカ・西インド諸島という、<対等・独立>な3つの国あるいは経済主体が、それぞれ「均衡ある」取引をし、それによって、それぞれが<均等に>富の蓄積あるいは経済発展を遂げていったらしい、と受け取るとか・・。あるいはまた、右のような単純な図をイメージしつつ、イギリスは「綿花」の輸入と「綿布」の輸出に携わり、一方(非人道的な)「奴隷」の輸出や輸入に関わったのは西アフリカと西印度諸島であったのか、と読むとか・・・。そういった<素直な>中学生がいなければ幸いである。まさかとは思うが、少なくとも辞書の記述は、それを否定していない。
 もちろん、このように字面だけを<素直に>読んだ理解も、語句説明という辞書目的に即しては間違いとはいえないのでもあろう。インドや綿なしでイギリス産業革命を説明することが辞書的には「正しい」らしいのと同様に。
 ただ、現実の世界歴史においては、イギリスの支配下にある7つの海を舞台に繰り広げられるこのような「収支の均衡がとれた」「貿易方法」は(もちろんそれだけではないが)、「大英帝国」に年々世界中から莫大な富が流れ込み、他方、西アフリカや西インド諸島をはじめとする世界各地に年々貧困が拡がり蓄積してゆくという、世界史的規模での「不均衡」拡大システムとして機能したのであった。いい換えれば、大英帝国は、自らに有利な世界史的「不均衡」を、ある「均衡」によって作り出し維持してゆくという貿易システムを発明したのであり、その「均衡」のためには、奴隷船に詰め込まれたり阿片窟に投げ込まれたりした無数の人々の過酷な運命は、顧慮されることがなかったのであった。
 などと、<素直>過ぎさえしなければ中学生でも知っている程度のことを、わざわざ書くほどのことでもないのだが、辞書がちょっと気になっただけである。戻ることにしよう。