1897年-31:被害の意識

monduhr2007-04-24

 それをどう呼ぶかは別として、凄いスピードで次々と大量のモノを作り出す新しいシステムが、いったん世の中に出現して居座ると、システムに日々与えねばならない大量の原料や燃料つまり「資源」の供給先と、システムが吐き出す大量の「製品」の売りさばき先を、国外に確保できるかどうかが死活問題となる。そこには、資源や製品を運ぶための鉄道や港が要る。自由な活動を保証し利権を認める政権が必要だし、抵抗に備えて軍隊の駐留も必要だ。・・・いっそ、わが領土にしてしまえ。
 僅か数十年前までは、外国との関わりは控え、自給し自足して暮らそうとしていた筈である。もちろんゼロではない。インド更紗にしても入ってきている。だが、できるだけ3つの島に自生する資源を工夫して使い回し、今風にいえば省エネ・リサイクルでやろうとしていた。少なくとも、300年近く、海外に軍を送り込んで資源を取ってこなければやってゆけないような暮らしはしてこなかった。ところが・・・ある日、汽車がやってくる。
 前に、『ごろはちだいみょうじん』の楽しいを見たが、「きしゃ」を迎える村人たちは、手に手に日の丸の旗をもっていた。
 日清戦争では義勇軍への志願者が続出し、日露戦争では講和反対の暴動が起きる。平和な村人たちが急に好戦的になったのではない。人々はおそらく、汽車を、新しい時代を迎え入れたにすぎなかった。ただ、線路の向こうでは、「お金が、お金が」、そして「資源が、資源が」、と泣くのであった。
 もちろん、次第に増長し傲慢になってゆく気持もあったろう。がその背後で人々は、おそらく、被害感情にも駆り立てられていた。折角もぎ取った領土を返還「させられた」、勝ったのに領土の割譲を「拒否された」・・・。半島や大陸で利権の拡大を「阻まれ」思うような活動を「妨害され」ている、このままではわが国の<生命線>が「断たれる」・・・。侵略しながら、そうせざるをえないように「追いつめられている」、と思っているのだから始末が悪い。もちろん、思わされている、という方が正しいのであろうけれども。