ホントのようなウソのような(1)うしろ

 寒くなりました。それにしても、ひどいことやお粗末なことが多い世の中には、もう口出しする気にもなりません。しかしそうなると、平凡な日常には特に書くこともないわけで、ちょっと忙しいこともあって、結構あいてしまいました。極々少々とはいえご訪問の方々に、お詫びいたします。というわけで、ひとつウソでも書いてみることにいたしましょう。
 さて、以前、「前」について駄文を書いたことがあります。「ま」は「まなこ、まぶた、まゆげ、まつげ」の「ま」つまり目であり、「まえ」は「まへ」すなわち「目の方向」なのですが、でも「ま」は「目」だけでなく、同時に「間」でもあり「真」でもあって、要するに「まへ」は、開いて関わる方、まともな方である、というようなことだったと思います。
 では「まえ(前)」の反対である「うしろ(後)」は、どうなのでしょうか。
 もちろん、「まへ」の反対は、本来「しりへ」、つまり「尻の方、方向」なのですが、今どき「しりへ」とか「しんがり」とかいう人はありませんしね。今や、「まえ」の反対は「うしろ」ということになっています。
 では、一体「うしろ」とは、何なのでしょうか。
 「しろ」から始めることにします。
 「しろ」といえばさしあたり白ですが、白は伝統差別的に、「汚れがない」というプラス評価のイメージで見られます。そういうと、国際条約でも認められている戦時の白旗は、<降伏>というマイナスのシンボルじゃないか、といわれそうですが、あれも多分、自分の旗印を抹消したということで、花嫁の白無垢のように、あとは相手の「書き込みに任せます」という意味なのでしょう。あるいは、少なくとも、旗印がぶつかりあい血と泥にまみれた戦場から離脱して、無色無印の清浄域に入ることを表しているのでしょう。いずれにしても、白は、純白無垢の処女雪の如く、何もない何も見えないホワイトアウトのように思えます。
 ところが、「白し」つまり「しろし」は「しるし」です。そして、「しるし」は「印、標、徴」であって、「しるし」をするのが「しるす(記す)」ことになります。というとこじつけのように思われるかもしれませんが、例えば、春はあけぼの、やうやう「しろく」なりゆくというのは、だんだん「白く」何もなくなってゆくという意味ではもちろんなくて、むしろ、だんだん「物の輪郭、物の徴がはっきり」してゆくという情景でしょう。というわけで、「しろし」は「しるし(徴し)」。「いちじるし」も、特徴が大変くっきりしている「いとしるし」状況をいうのかもしれません。いずれにしても、「しろ」は、何もない白地、無印(無徴)から、むしろ「<し>っかり」「<し>かと」見える「しるし」(標、徴)に反転します。(続く)