サミットとコンビニ(6) 

 「パッケージ効果?  
 「行列のできているラーメン屋は美味い店に見える。
 「ラーメンの話はもういいですから・・・
 「先ほどから次の話に進もうとするとストップさせるからだ。・・・街中で突然、男が女に掴みかかり女が男を突き飛ばして逃げようとしているとどうだ。
 「だから、何の話ですか。
 「勇気ある市民は、<暴力を振るう男>を羽交い締めにして女を逃がそうとするだろう。
 「最近は、見て見ぬふりの市民が多いですがね。 
 「ところが、男が警官の制服を着ていれば、全ては逆転する。<暴力的に抵抗する>女性の逮捕に協力するだろう。どちらが「暴力的」に見えるか。制服というパッケージが決め手になるんだ。
 「それはまあそうでしょうが。
 「だから、本官のいったポジティヴという言葉を君らは誤解してるんだよ。合法的合法的といいながら、テレビカメラをシャットアウトするというのは小心というか消極的というか。そんなことだから、身内にさえ、当たり屋みたいなことは反対だとか、不当逮捕と思われなように気を付けろとかいわれるんだ。
 「でも、やはり誤解されるとまずいのでは。
 「・・・道を走って来たバイクを転倒させて、逃げる男にタックルして腕をねじりあげる。これは完全な一方的暴力だ。ところが、「暴走族vs交通機動隊」という番組で、やってるのが警官だったらどうだ。暴力的な「暴走」を繰り返す暴力集団の「逮捕」として見るだろう。
 「まあ確かにそうですが。
 「撮られると誤解されるといった心配は消極的だ。ポジティヴではない。駅に置かれたただの紙袋も、周りに砂嚢が積まれると爆発物に見える。ニュースで、交通整理の警官がちらほらいるだけの既成政党とか労組団体とかのデモが映った後に、機動隊の壁でパッケージされているデモが映ると、それだけで、一般市民は、「暴力的集団」と見てくれるんだ。一般人なんてそんなもんだヨ。むしろ報道番組も金のかからないコマーシャルとして利用できる。それが「積極的ポジティヴ」ということなんだ。
 例えば、行列の後部をオープンにする。カメラもついて来させる。後から入り込んだ野次馬やその他の者らが、そのうち警官を蹴ったり暴言を吐く。レポーターが叫ぶ。「暴走族でいえばケツモチでしょうか。ひどいですね〜」。やがて先頭で何かが起こり、カメラも走る。「逮捕!」という声の中、車のガラスを破って男が引き出され蹴倒され押さえつけられる。レポーターが叫ぶ。「暴力的に抵抗する男が、今ようやく引き出され逮捕されました!」。
 「いや、それはまずいよ。不当逮捕とか過剰警備とかいわれる。もちろん合法的な任務遂行だが、そういう映像は誤解される。
 「私もそう思います。
 「だから、ポジティヴ戦略というのが分かってないというんだ。誤解を怖れて隠す、というのは時代おくれなんだ。たとえ警官が暴力を振るっている映像しか映らなくてもデモ隊の方が暴力的だと市民は受け取るという信念をもって、積極的に「逮捕劇」を放映させてみなさい。間違いなく、市民は拍手するよ。
 (う〜ん。これではほんとにありそうな話で怖いですね。最初の思惑とは異なり、流れに乗って、まずい所に着船してしまいました。嫌な気分ですが、ともかく終りにします)