夏の風景2

 暑中見舞いの季節。DMや通知類の束から落ちたその葉書には、生まれて間もない幼児の写真があった。長年待ち望んんでいた子宝にようやく恵まれたことを知っている、ある女性からのものだとすぐ分かったが、「先日はお電話ありがとうございました」という添え書きに心当たりがない。自分の過去の行動を忘れているということは、私の場合大いにありうるが、しかしこの件についてはそれはない。すぐ電話するような間柄ではないからだ。
 誰か別人からの電話に出て実際に話しながら、相手を私と思いこむというようなことは考えられない。では、誰かが留守電にお祝いの言葉を残しながら名乗るのを忘れ、彼女がその声を私と聞き間違えたのだろうか。それとも彼女の夫が電話を受けた際、相手の名前を伝え間違えたのだろうか。だが、いずれにしても留守中に電話があった場合には、普通折り返し電話をするだろう。
 でなければ、暑中見舞いをまとめて送る際に、添え書きする相手を間違えたのだろうか。だが、宛先をよく確認せずに添え書きしたとは、大変考えにくい。
 と考えてきて、もうひとつの可能性があることに気が付いた。私にもお祝いの気持ちはあるのだから、もしかすると、もう一人の私が、実際に彼女に電話したのだろうか。ちなみに、もしそれが、芥川も会ったようなドッペルゲンガーなら、さりげない仕方でどこかに現れるのが前兆で、やがて当人の前に姿を現すのだが、その時は当人の寿命が尽きる寸前だということになっている。穏やかなことではないが、ただし、 ドッペルゲンガーは、暗い顔つきで歩いていたり佇んでいたりするだけで、周囲の者と言葉を交わすことはない筈である。ましてやお祝いの電話をかけたりはしないと思われるのであるが。