あいつらは当然

 続きですが。
 しかし、「卑しい見方」はいけません。3ヶ月で退職金32億、17才で年収1億、時給1000万、いいじゃないですか。真っ当に考えればオカシクないかといいましたが・・・でも本当は、そんなことはどうでも良いのです。
 貨幣には人を「評価」する力があるといいましたが、では、誰が、どのような基準で評価しているのでしょうか。32億と聞いて従業員が一斉にストに入ったり加入者が怒って一斉に解約したりはしないということは、結局みなさん追認納得されているわけでしょう。
 「社長の役員報酬は億だってよ」「すごいねえ。同じ人間なのになあ。替わってほしいよ」「ばかいえ。お前なんか社長やったらすぐ倒産だよ」「そりゃそうだ」「課長だって、俺たちの十倍は契約とってくるだろ。給料は何倍か知らないけど」「確かに、会社への貢献度が違うわな」「1億円プレーヤーなんてのも、すごい経済効果で関連会社に貢献してるわけだしさ」「それはそうだな」「何もしない大株主がごっそり配当をもってゆくのも、資金面で会社に貢献してるということだしね」「つまり、どれだけ金を貰えるかってのは、会社とか社会とかへの貢献度に、大体見合ってるてわけか」「そういうことだね」「俺たちも残業残業でやってるけどなあ。でもって年収3百万」「でも、貢献度からすると、納得せざるをえないわな」
 「同じ人間なのに」なんて、高給取りや金持ちを妬んではいけません。それは卑しいことです。「公平」というのは、「社会的貢献度に見合った」という意味であって、その限りでは、まあまあ、世の中、こんなものじゃないでしょうか。でも・・・
 「まあ、俺たちも残業残業でやってるんだから、もうちょっともらってもいいけどな」「そうだけどね。でも、上を見て暮らすな、下を見て暮らせ、っていうだろ」「・・・下? そうだ、けしからんのはヤツらだよ」「どういうこと?」「俺たち毎日残業残業でやってて、年収ようやく3百万」「確かに少ないけど、でも、貢献度からすると、納得せざるをえないわな」「そう。会社への貢献度からすれば課長の何分の一でも仕方がない。そう思って我慢してるんだ!!」「その通り」「ところが、ヤツらはどうだ。働かないで、だから何の貢献もしないのに、それなのに、毎日残業してる俺たちと殆ど変わらない生活保護費なんかもらってる・・・」「まあ、それはそうだけど」「不公平じゃないか。けしからんじゃないか!」・・・とまあ、こうなったりすると怖いですねえ。
 高給取りや金持ち自体は、ホントのところどうでもいいのです。一万円のランチなんていりませんしね。でも、それを妬むような「卑しい見方」をせずに自分との格差を納得するのは勝手なんですが、その「納得」は、上を見る時だけにしておいてほしいものです。