ピカソ   

 日曜なので(?)ちょっと別の記事。いろんなものに勝手で不当なイチャモンをつけて遊んでいるという、実に不埒なブログで恐縮ですが、たまにはリスペクトもしておきます。
 以前、トム・ウルフという人の本を読んだことがあります。書くのも恥ずかしい題名が『現代美術コテンパン』。原題を無視して、売るために付けたのでしょう。といっても一応確か晶文社だったと思いますから、題名から連想されるほどヘンな本ではなく、まあ面白く読んだ記憶があります。
 どうしてそんな話をするかというと、2,3日前に『ピカソは本当に偉いのか?』という新書(新潮選書)を読んだからです。これも結構キャッチコピー的な題ですが、ところが、大変真面目で目配りの効いた面白い本でした。描かれた絵、描いた画家、取り巻く業界、そして観る人々。著者西岡文彦氏は、自らのしっかりした視点から、時代と社会の動きを背景に、「現代美術」という現象をトータルかつ公平に、分かりやすく解説してくれます。そんなわけで、今日はイチャモンではなく、単なる付け足しですが。
 「ピカソは本当に偉いのか?」。その問いは、「大半の人々がどこかで感じている疑問なのではないでしょうか」、と西岡氏はいいます。そして、「ピカソの絵は本当に美しいのか?、ピカソは上手いのか?」、「それにしてもピカソの絵は、どうして超高額で取り引きされるのか?」、という問いから話を始めておられます。確かにそうですね。
 ただ、「本当に偉いのか?」という疑問は、「偉い」と聞かされることを前提にしてます。「これは偉い画家の絵だよ」「え?本当に偉いの?」。けれども、もはや没後40年。「大半の人々」は、いまや「ピカソは偉い」と、いや「ピカソ」という名さえも、昔ほどは聞かされなくなっているのではないでしょうか。西岡氏もいわれるるように、「アヴィニョンの娘たち」という絵やそれを描いたピカソが「偉い」といわれたのは、その絵がもつ「革新的」あるいは「前衛的」な衝撃力によるものでした。「こんなスゴい絵を描いたピカソは偉い」「でも本当に?」。
 それから百年。いま、ファッション雑誌のページ全面に「アヴィニョンの娘たち」がプリントされていて、「夏! 南アフリカ航空」とシャレたフォントのコピーが乗せられていたり、絵の下に、高級な靴とか時計とかがあしらわれていたりすると、読者の大半は何も思わずページをくるだけでしょう。そのような時の流れにうち勝つには、自己言及的な「前衛」性を絶えず前に進める他なく、いまや行き着く所までかどうかは知りませんが、少なくともかなりの所まで行き着きました。
 先日、イギリスかどこかの美術館で、閉館後に清掃係の人がゴミを片付けたところ、それが「作品」だったというので大騒ぎになったという、係の人に大変気の毒な事件がありました。作者である画家が、芸術作品の毀損だと息巻いて損害賠償を要求したのか、いやいや気にしないで下さいまたすぐ作りますよと笑っていったのか、どちらだったかは知りません。後者であってほしいものですが、「現代芸術は偉い」ということで、おそらくそうはならなかったことでしょう。それでも、もはや一見ゴミですからね。かつてに比べれば、この作品は「スゴい」作者は「偉い」といわれても、少なくとも王様ピカソの時代のように、「この作品は本当にスゴいのか?」と悩むようなことは、以前よりずっと減ってきているのではないでしょうか。
 キュービズムであれシュールレアリズムであれその他何であれ、当時は衝撃的だった「現代美術」まがいの絵や立体が街中のショウウインドウや広告ページなどのありふれた素材になっている時代、否定を重ねて創り出した懸魂の作品が一見ゴミに見えてしまうような時代。それでも「前衛」を目指そうという若い作家の方には、大変ご苦労な時代でしょう。
 では、もうひとつ。「ピカソの絵は、どうして超高額で取り引きされるのか?」という方はどうでしょうか。西岡氏の本によれば、先年、ロンドンのオークションで、ピカソの百号の絵が、史上最高の100億円で落札されたそうですね。「ピカソって知ってる?」「知ってる、知ってる。超有名じゃん」「バンドのピカソじゃないよ」「分かってるよ。美術の時間に習ったもん。変な絵描いた人でしょ」「変な絵じゃないけどね。でね。ピカソの絵が100億円で売れたんだって」「ふ〜ん」「すごいでしょ」「でも、超有名だから、そんなもんじゃないの」「驚かないね。1つで100億円だよ」「まあすごいけどね。ねえ、柏レイソルの田中って知ってる?」「ごめん、サッカーは本田、香川位しか知らないんだ。ワールドカップで活躍したの?」「ううん、選ばれなかった」「ふ〜ん。で、その選手がどうしたの?」「今度、ポルトガルのクラブに移籍するんだけどね、その移籍金が83億円だって」「すごいねえ〜。田中といえばマー君しか知らないけど、そういえば彼もその倍ほどだったよね」「お金がある所には無茶苦茶あるんだよ。ワールドカップ予選リーグ敗退した日本代表に漏れた選手を83億円で買っても、ピカソの絵を100億円で買っても、別世界の話だからね。それに、買った人は、どうせそれでまた儲けるんでしょ」「まあ、そうだろうねえ」「え〜っと、私が年収200万円の半分で生活して、毎年100万円ずつ貯めると・・・え〜っと」「100年つまり1世紀で1億」「死んじゃうよ」「まあね」「100億円だと?」「100世紀、1万年だね。今から逆に数えると、日本列島ができて富士山ができたばかりの頃、マンモスもいたかもしれない」「マンモスのいた頃からずっと毎年100万円ずつ貯金して、ようやく100億円ということ?」「それでピカソの絵が一点だけ買える」。
 最後に、西岡氏の文を写しておきましょう。「私は、芸術という「創る」営みの出自が「働く」ことにある以上、それに与えられる評価というものが、人々が額に汗して働くことに不当に優越するものであってはならないと思っています。まして、その報酬が、日々を誠実勤勉に生きる人々の勤労意欲を損なうまでに高騰するのであれば、そのような社会は明らかに病んでいると思っています。」
 「でも、絵も描かず何もせずに、お金を預けておくだけで年収100億円なんて人もいるんじゃないの?」