白洲次郎という人(10)

 ということで、「虚像」相手にこれ以上書くのも何ですが、行きがかり上、本丸前でやめるというのも何ですし・・ ま、こちらも同じく「事実に基づいて」やりましょう。
  *W=「昭和20年(1945年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田の懇請で終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任する」。
  *W=「ここから、次郎の連合国軍最高司令官総司令部GHQ/SCAP)を向こうに回した戦いの火蓋が切られる。次郎は、GHQ/SCAPに対して当時の日本政府および日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し、イギリス仕込みの流暢な英語(次郎は日本語を話す方が訥弁になった)とマナー、そして本人が元々持っていた押しの強さと原理原則(プリンシプル)を重視する性格から主張すべきところは頑強に主張し、GHQ/SCAP某要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。[W注]= もちろん事実としては蔵相時代に激しく日本側の立場を主張して公職追放になった石橋湛山などもおり、次郎しか従順でない日本人がいなかったわけではない。

 ○ え〜、今日はですね。戦後すぐの時代の白洲次郎について、お聞きしたいと思いまして。
 ■ 今どき白洲のことを聞きたいなんて、珍しいですなあ。いや私も、それほど詳しくはありませんがね。
 ○ えと。当時はもう、政治部の記者をしておられたのでしょうか。
 ■ 幸い私は従軍先から意外に早く帰れましてね。秋から社に戻ったんですわ。それで、人手がないもんで、政治部へやられまして。まだ駆け出しながら吉田番ということでね。そんなことで、白洲のことも、いくらかは知っていますよ。
 ○ 戦後すぐに、白洲は終連、終戦連絡中央事務局に入りますね。その頃からご存じなんですか。
 ■ 確か12月だったと思いますがね。当時外務大臣だった吉田が、白洲を終連の次長にしたんです。いや、最初は参与かな。
 ○ それまでは、例の武相荘に隠棲していていましたね。白洲は。
 ■ そうらしいですな。もちろん後から聞いた話ですが。
 大体、昭和19年の夏にもなると、東京なんかにも毎日のように空襲がある。それに食糧事情もどんどん悪くなる。それはもう大変な状況でしたからね。でも、庶民は生活のために東京を離れられません。また、離れられても行き先もありませんよ。だから、せめて子供だけでも集団疎開に、というような状況でね。
 ○ 妻の正子氏も、夫は「臆病なので空襲をおそれて」東京から逃げ出したのだと書いておられますね。
 ■ 庶民は逃げ出すわけにはゆきませんが、白洲という人は、何しろ金持ちですからね。何処へでも疎開でも隠棲でもできますわ。町田かどっか郊外に別荘を買って、空襲とも徴兵とも無縁のまま、悠々と家庭菜園のまねごとをしながら暮らしてたんでしょう。
 ○ これからは食糧確保が重要になるということで、農業に着目したんだということですね。やはり時代を読む力が優れていた人だったのでしょうか。
 ■ あんたね。国民学校の運動場までイモ畑になる時代ですよ。食糧とか農業が重要だなんて、日本中の者がそう思ってましたよ。自分は全く食うに困らない白洲なんかにいわれなくてもね。
 ○ はあ。そういうようにおっしゃるということは、最近の白洲次郎のイメージなんかについても、ちょっと違和感をもっておられるとか・・
 ■ 最近のイメージ? 「政界のラスプーチン」とかいわれた白洲のことが、最近また話題になってるんですか。それであなたも、話を聞きたいというわけですな。それはまた、どういう風の吹き回しで。
 ○ つまり、その、隠棲していた白洲が、戦後終連に入って、「当時の日本政府および日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し」、GHQを「向こうにまわして」敢然と闘った、ということで。例えばそういうところが「カッコいい」と、すごいブームになっているんです。
 ■ 馬鹿馬鹿しい。私にいわせれば、歴史の誤認としかいいようがないですな。
 あの白洲が、「当時の日本政府および日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し」た? 冗談いっちゃいけませんよ。「日本人」が「従順過ぎ」たってのも、全く歴史を知らない者の言いぐさですが、それは今おくとしても、「当時の日本政府」ってのは、吉田内閣のことですよ。じゃ、白洲は、「吉田政府と一線を画した」っていうんですか。馬鹿馬鹿しい。大体ね。白洲を終連に加えたのは吉田ですよ。
 ○ 隠棲していた白洲に吉田が白羽の矢を立てて、就任を「懇請」したそうですね。
 ■ 懇請? って誰がいったんですか。そりゃね。白洲から頼みに来たんじゃなく、吉田が考えたことでしょうからね。「やってくれないか」とはいったのでしょうけど。ははあ、誰がいったかというより、白洲のことだから、誰かに自分でいったんでしょう。「俺はそんな気苦労の多いことは嫌だってったんだがね。吉田のじいさんから是非頼むよと懇請されたから、仕方ないやね。一肌脱いでやろうかってことになったのさ」、とかね。そんなことをいう人間でしたよ。白洲という男は。
 ○ でも、そのいきさつはとにかく、終連では、白洲はすごく活躍したんじゃないでしょうか。
 ■ 終連というのは、GHQとの折衝窓口機関ですからね。GHQは、間接統治という形をとりましたから、終連という窓口を通して、日本政府にいろいろ指令を出す。特にあの時期には、次々といわゆる戦後改革の指令を出してるでしょう。もちろん経済復興や民生にも手を打たねばならん。それから憲法問題もありましたしね。とにかく、政治経済社会何でもGHQの意向を受けてでないと動かない時代ですから、終連は、そりゃ大変でしたよ、確かに。
 その終連内部で、白洲がどんな仕事をしたのかという細かいところまでは知りませんがね。しかし、何しろとにかくGHQ相手の仕事ですから。べらぼうに英語ができたらしい白洲には、うってつけだったんじゃないですか。そういう意味じゃあ吉田の期待に応えたとは思いますよ。適材を適所に使った、吉田がえらかったってことでしょう。いっときますが、吉田が白洲を使ったのであってね。あの人のことだから、掌から出ない範囲では、白洲が少々ヤクザなことをしても笑ってましたがね。「一線を画し」て勝手なことをさせるような吉田じゃありませんよ。