異質性と多様性(4)第三のロビンソン

 さて、第三のロビンソン、これがロビンソン・クルーソーである。ただし例のデフォーの物語は、事実を変えて書かれている。事実はこうである。第三のロビンソンもまた、ようやく島の海岸にたどりついた。やれやれ助かったかと思ったとたん、疲れ果てたロビンソンはそのまま眠ってしまったらしい。目が覚めるとそこはいまだに海岸で、驚いたことに、大勢の裸の男女が、遠巻きに取り囲んで彼を見ていた。島は無人島ではなかったのである。だが、あわててロビンソンが起きあがっても、人々は近づいてこようとはしなかった。悪意があるようには見えなかったので、ロビンソンが笑顔で近づこうとすると、人々は退いた。手をあげて「Hi」といってみたが、それにも反応はなかった。やがて、人々は、二人三人と森の中へ入って行き、夕暮れと共に、誰もいなくなった。それから後のロビンソン・クルーソーの生活は概ね物語に書かれている通りで、流れ着いた難破船の荷物を集めて、海岸に家を造って暮らした。島の人々は、決して彼に近づかず声もかけず、やがて、遠巻きに見ている人さえいなくなった。どうやら、島の人々は森に住んで海での漁などはしないらしく、時折何人かが海岸に出て来ても、しばらく海岸で遊ぶだけで、ロビンソンには近づかなかった。
 ロビンソン・クルーソーには、文明人としてのアイデンティティが強かったので、「野蛮人」たちが自分に近づかないのなら、別にそれで結構だと思っていた。若い者に服を着せて従僕や侍女として身の回りの世話をさせ、代わりに文字を教えたり文明の道具の使い方を教えてやったりしてもいいとは思っていたが、何しろ誰も近づかないのだから仕方がない。おそらく文明人である自分を畏怖しているのであろう。ロビンソンは、そう思っていた。
 ところがある日、衝撃的なことが起こった。海が穏やかで気持ちのよい夕方、若い娘二人が海岸に出て来て、腰紐をはずして海に入った。といっても、ロビンソンからすれば、もともと紐を腰に巻いているだけだから、それを付けようがはずそうが変わりなく、どうということはない。娘たちも、ロビンソンを全く気にすることなく、波と戯れていた。が、その時、森から男がひょいと顔を出して驚いたような顔をし、急いで森にひっこんだ。とたんに娘たちは悲鳴をあげて、慌てて腰紐をつけ、恥ずかしそうに走って逃げた。その時、ロビンソンは覚った。彼女たちにとっては、自分は、裸を見られて恥ずかしい存在ではなかったのだということを。つまりロビンソンは、彼女らにとって人間ではなく、海岸に住む変な動物あるいは動くゴミに過ぎなかったのである。こうして、自尊心を大いに傷付けられたロビンソンは、後にデフォーという作家に自分の漂流体験を語る際に、島は無人島だったといったのであった。とはいえ、彼は忘れていた。前から彼自身、「野蛮な」島の女たちがいてもいなくても、平気で素っ裸のまま水浴びをしていたということを。