内閣に制約される筋合いはない。

 書いてしまったので、フォローしなければならなくなりました(^_^;)。やれやれ。
 あちこちいろいろ騒いでいますね。共産党氏は、黒幕氏が強調した「内閣の助言と承認」は国事行為についての規定であって、しかし今回のような件は「公的行為」だ、と指摘したとか。「外国賓客と天皇との会見は国事行為ではない。小沢さんこそ憲法をよく読むべきだ」と。なるほど。だから黒幕氏発言は、「内閣の助言と承認」という口実で、内閣による天皇の「政治利用」を正当化しようというものだ、ということですね。
 確かにそうでしょう。しかし。
 この記事(16日配信、産経)の見出しは、こうなっています。
 「「国事行為」ではなく「公的行為」。必要ない内閣の助言
 共産党氏が「必要ない」ということばを使ったのかどうかは分かりませんが、当然そういう見出しを付けられるわけです。
 「内閣の助言と承認」という規定は、一方で黒幕氏的な特定内閣による政治利用の口実になりかねないものですが、もともとは、戦前の統帥権のような天皇の暴走への歯止め装置として置かれたものです。
 くり返しますが、この制度装置はどこからどこまでも「政治装置」であり、「政治利用しない」という看板もまたその装置の重要な一部として憲法規定されているわけです。問題は法規定にあるのではなく、この危うい全体構造そのものにあります。
 いまや共産党氏は、少なくとも当面は、現行の制度構造を了承し支持しておられるようで、その立場から、憲法の規定を正しく指摘されたわけです。今回のような外国人政治家との会見は、国事行為ではないのであって、「内閣の助言と承認は必要ない」のだ、と。おそらく、共産党氏の発言は、(国事行為ではないという点に関しては)憲法解釈としては正しいのでしょう。
 けれども、生物学研究や音楽観賞などとは違います。まさか共産党氏は、天皇が外国の大物政治家と会見することには「政治的」意味はない、とはいわないでしょう。外国の政治家との会見は国事行為でなくとも「政治的行為」です。つまり、共産党氏は、天皇の政治的行為には「内閣の助言と承認が必要ない」ものがあるのであって、つまり国事行為以外の政治的行為は、内閣のチェックなしにやってよろしい、ということを改めて言明したことになります。
 もちろん、「それは誤解だ」といわれるでしょう。「発言の趣旨はそうではない、黒幕的政治利用を批判しようとしたのだ」、と。けれども、法制局の役人や憲法学者の発言ではなく、政党の責任者の発言である以上、それがどのような政治的文脈で受け取られ、マスコミ発信されるか、ということにもまた「政治責任」が及びます。
 そういえば、靖国参拝の論理と同じパターンですね。「国事行為ではなく公的行為だ。憲法の規定は関係ない。制約される筋合いはない。」