いつか来た道を疑え

 毎日更新ということで、数度ネタに使わせて頂いた小沢問題ですが、もう一度、江川紹子氏の新聞の「説明責任」を問うを紹介させて頂いて、終わりにします。多分。
 前にも書きましたが、いつの時代もどんな国でも、最大の「力」をもっているのは、軍隊・警察という国家暴力装置です。少なからぬ国では、軍部が、超政治的な正義存在だという危険な自己誤認から、「堕落政治」の批判者という言い分で政治介入し、時には自ら政治権力を握ります。
 かつて、わが軍部は、まさにそのようにして政治権力を掌握しました。彼ら軍部が、「堕落政治家」を攻撃的に批判したとき、真っ先に尻馬に乗ったのが新聞であり、そして新聞に煽られた世論だったことを忘れてはなりません。
 新聞と世論は、「金持ちと結託して私利私欲に走り党利党略に明け暮れる政党政治家たち」にうんざりしていました。そして、軍部が、「公正な正義」の名で「堕落」政治家を攻撃しはじめると、溜飲を下げ、国家暴力装置に「公正な正義」を仮託するという熱病に取り憑かれていったのです。やがて、軍部が次第に本来の暴力装置を振るいはじめ、政党政治を排除して自ら政治権力を掌握し、遂に戦争へと突っ込んでいった時、新聞と世論は、「公正な正義」のやむにやまれぬ発動だとして、戦争を熱狂的に支持します。
 何度も書いて来ましたが、小沢氏だけではないにしても、小沢氏も当然、党利党略はもちろん私利私欲の闇をもっているでしょう。今回のいきさつにしても、最終的にはアメリカと手打ちし検察と手打ちしたらしいという、既に書いた勘繰りは多分当たっているでしょう。(小沢氏も急に、「公正」といってますよね。)
 政治家を信じてはなりません。しかし、官僚的国家暴力装置の掲げる「公正な正義」を全面的に信じることは、さらにもっと危険なことです。かつての時代のように、国家暴力装置の掲げる「公正な正義」と結託した記事をたれ流す新聞マスコミ。その世論誘導に流されることだけは、しないようにしたいものです。
 江川氏を読んで、柄にもなく真面目な書き方になってしまいました(^o^)。やめた方がよさそうです。ともかくしかし、<全てを疑え、より権威、権力のある方を疑え>、です。ん?ソクラテスではありませんが(^o^)。