単純ではなくなる

 (承前)それぞれが自由にやりたいことをして、それで村全体がうまくゆく・・・・・ということはありえない。というところから、「歴史」が始まります。
 ところで、占有、所有まとめて私有ということですが、ハンドtoマウスの時代にも、既に、手と口の間にその萌芽があるわけです。誰のものでもない野生の林檎を「採る」のは自由ですが、手にあるそれを「取る」のは横取りです。で、歴史の進歩とは、手と口の距離が拡がってゆくことでして、いわゆる保存とか加工とかが入ってくるわけですね。
 そして、保存と加工ということが、固定化されるのが、次に道具です。釣り竿は作った手から使う手に移るだけで、口には行かずに、壊れるまで「手」元にあるという本質性をもっています。
 ということで、もとは、「釣ったぞ、さあ食べようぜ、食べてくれ」、だったのでしょうが、バランスがくずれて魚が相対的に少なくなると、まてよ、オレが手作りし手元に保存している手慣れた道具を使ってオレの手で釣った魚じゃないか、オレと家族が先に食ってもいい筈だ、というようなことになってゆくのも致し方ないでしょう。で、ここからは一気呵成、暴力を使うヤツ受けるヤツ、騙すヤツ騙されるヤツ、取り替えるヤツ貸すヤツ借りるヤツ、雇うヤツ雇われるヤツなどなどなど、もちろんカネも生まれて、いわゆる市場経済という<バランス矯正方式1>へと流れてゆくことに相成ります。