単純にいえば

 結局どういうことなのでしょうか。
 100人だけの村では、「今日はキノコ狩りに行こうぜ、行こう行こう」という具合に、貧しく仲良く生活してゆけたのでした。もちろん、どんな史観も天津楽園堯舜黄金時代を設定しますので、これもまた単なるイメージなのですが。ところが、文字通り千年一日の如くしたいことをしてるだけではじり貧で、洪水で流されてしまったり隣村にやられてしまったりもするでしょう。したくないことをしたりさせたりするシステムをもった連中の方が、強かったり豊かだったりするわけです。こうして、様々に発明される強制あるいは矯正システムが、エンジンとなって歴史が進みます。
 強制といってもシステム化されると習い性となり自然のようになってしまうので矯正ともいったのですが、ともかくそれは、「経済外的強制」か「経済的強制」か、論理的にはそのいずれかになります。前近代と近代、身分制と市場制ということですが、ところが、その市場原理がいけないとなったわけですね。構造的な収奪システムゆえの格差拡大に歯止めが効かず、またシステムそのものが自制コントロールを失って暴走してしまう。
 しかし、どう考えても100人村じゃないのですから、どこかで調整が必要です。「キノコ狩りに行こうぜ、行こう行こう」と付和雷同でやるのではなく、「今日は15名でキノコ狩りに行くべきだ」、などと考えてから山に入ろうというのですから厄介です。なぜ15人なのか、その判断は<正しい>のかなどについて<考え>ねばならず、正しく考えた(と自認する)人が、教えるとか指示するとかいうことにもなります。政治的強制方式ですね。
 けれどもそのうち、というのがいつのことかは分かりませんが、いうならば新人類が生まれると思われていたのでしょう。<しなければならないこと>をすぐ理解し、率先<しなければならないことをしたい>と、15名で予定100個のキノコを採るのに夢中。
 残念ながら、そんな日々はなかなか来ないわけです。「みんなが米の飯を食べられるようにしたかった」といったという悲しい話も伝わって来ますが、いずれ軽減する筈の政治的強制は逆にますます強化され、それなのに失敗続き。というわけですが、まあやけくそにならずに、お互い穏便に願いたいものです。・・何の話でしたか。忘れてしまいましたが。