2-17 帰龍

 さて、脱線が過ぎた。龍野中の修学旅行も最終日となる。
 一行は、和歌浦周辺を徒歩見学し、再び南海電車天王寺に戻り、明治記念博覧会で、現代の「忠臣」乃木自害の軍服など見る。そして、梅田から山陽線に乗って網干に6時半に帰着、そこで解散する。
 往路は、夜も明けない2里の道を歩いたのであったが、帰りは、網干駅前から龍野町駅まで、龍野電鉄の「乗りなれた電車に身を揺られた」。
 ・・・・・以上、韓国併合の10年、辛亥革命大逆事件の11年、大正改元の12年に続く、1913年の修学旅行を追ってみたが、中味のないこと甚だしい駄文になったことをお詫びしたいm(_ _)m。それでも、戦時国策とタイアップしながら各地に拡充する鉄道と「貨車」で運ばれてゆく物産。とりわけ「工業地」で大量機械生産され「他人種」に、つまり国外に販図(版図)を拡げてゆく「綿ネル」などの繊維商品。2度の戦勝で「鉄鉱石」の産地韓国をも併合し、「外発的開化」に「神経衰弱」に陥りながらも、「東洋一」を誇り「一等国」を自称するまでになった大日本帝国大逆事件後の「冬の時代」に進められる「忠臣」教育・・・・・中学生たちの修学旅行にもまた、時代が見える。
 世界大戦が翌年に迫っている。