漱石 1911年の頃 5:事件と革命2

 しかも、06年には、手紙の中に、こういうことを書いていた漱石です(06.7.2.高浜虚子宛)。
 昔はコンナ事を考へた時期があります。正しい人が汚名をきて罪に処せられる程悲惨な事はあるまいと。今の考は全く別です。どうかそんな人になって見たい。世界総体を相手にしてハリツケにでもなつて、ハリツケの上から下を見て、此馬鹿野郎と心のうちで軽蔑して死んで見たい。尤も僕は臆病だから、本当のハリツケは恐れ入る。絞罪位な所でいゝなら、進んで願ひたい。
 おそるべき文学者の予感というべきでしょうか。「正しい人が汚名をきて罪に処せられ」「世界総体を相手にして」「絞罪」になるとは、まさに幸徳事件のことに思えてきます。しかも漱石は、進んで絞首刑になりたいというのです。
 あるいはまた、06.10.23.狩野享吉宛でも、
 僕は、世の中を一大修羅場心得てゐる。さうして其内に立って花々しく打死をするか、敵を降参させるか、どっちかにして見たいと思ってゐる。敵といふのは僕の主義、僕の主張、僕の趣味から見て、世の為めにならんものを云ふのである。世の中は僕一人の手でどうもなり様はない。ないからして、僕は打死をする覚悟である。
 さらに、日記手紙の類ではなく、作り物にまで手を広げれば、『野分』07という小説では、道也先生が、「社会主義だなんて間違えられるとあとが困りますから」と引き留める細君を、「間違えたって構わないさ。国家主義社会主義もあるものか」と振り切って出掛けた会場で、次のように演説します。
 「社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年前の志士は生死の間に出入して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手して成功を冀う輩は、行くべき道に躓いて非業に死したる失敗の児よりも、人間の価値は遥かに乏しいのである。」
 事件後の、徳富蘆花の有名な演説「謀反論」を思い出す人もあるでしょう。「諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。〜 諸君、幸徳君らは乱臣賊子となって絞台の露と消えた。その行動について不満があるとしても、誰か志士としてその動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊であった。しかし今日となって見れば、逆賊でないこと西郷のごとき者があるか。幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう」。
 道也先生は、演説を続けます。
 「諸君は道を行かんがために、道を遮ぎるものを追わねばならん。彼らと戦うときに始めて、わが生涯の内生命に、勤王の諸士があえてしたる以上の煩悶と辛惨とを見出し得るのである。――今日は風が吹く。昨日も風が吹いた。この頃の天候は不穏である。しかし胸裏の不穏はこんなものではない。」
 まさに不穏な気配です。
 最後に、幸徳その人の名前を挙げている、『それから』09も引用しましょう。
 平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義の人を、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人宛昼夜張番をしてゐる。一時は天幕を張つて、其中から覗つてゐた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ来たと、夫から夫へと電話が掛つて東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使つてゐる。
 「矢っ張り現代的滑稽の標本ぢやないか」と平岡は先刻の批評を繰り返しながら、代助を挑んだ。〜

 大逆事件が起こってから、事件への直接言及はありません。けれども、間接証拠あるいは状況証拠がこれだけあれば、十分のように見えます。「社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である」。漱石は幸徳のうちに、たとえ「絞罪」になるとも「僕の主義、僕の主張」を貫こうという、自らと同じ魂を見ていたに違いなく、そのような「幸徳秋水という社会主義の人」を恐れ、隙を窺っている警察とその背後の「政府」に対して、「滑稽の標本」と軽蔑しつつ強く反撥していたに違いなく、だから、事件に深い関心を寄せ、その心意に密かに共感をもち、強引に大量死刑を執行した強権に怒り、心を痛めていたに違いない・・・・・やはりそのように思えてきます。
 けれども、それではなぜ、漱石は、一切何もいわないのでしょうか。何もいわずともせめて、生死の境から生き残った自らとは対照的に、刑場の露と消えた菅野スガゆかりの田辺や大石誠之助らの故郷新宮にまわろうとはしなかったのでしょうか。風光明媚な和歌浦から、高野山に登り伊勢を回るような、ありふれた観光取材旅行を選ぼうとしたのでしょうか。(続く)