ニイチェ、見下す気分

 本屋で、ニイチェのでかい顔のある、でかいポスターに出会ってぎょっとした。気が付くと、新聞にも大きな広告が出ている。現物は見ていないが、ニイチェ論ではなく、箴言をアレンジしただけで、誰かが大いに儲けているらしい。目先の効く編集者、アレンジャーがいるものだ。同じ箴言でも相田みつをならそうはゆかないが、ニイチェは著作権が切れているしなあ。などと思うのはゲスの何とかで、そういうことではなく、今ニイチェに目を付けたというアイデアが、儲けの元である。
 それにしても、今さら何故ニイチェなのか。それも唐突に。もちろん、世の中のできごとは、全てに明確な理由があるというわけではないが、それでも、少しは何かあるのだろう。
 そう思っていると、誰かが買って来たらしい新書の表紙が目に付いた。速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)という本で、オビには、「「自分以外はバカ」の時代」という、題名より大きなキャッチコピーが踊っている。目次を追ってちょっと拾い読みしてみると、オビの言葉は、吉岡忍氏の発明品らしいのだが、他にも、「負け組の「他者軽視」」、「仮想的有能感」というような言葉が並んでいる。
 なるほど、ニイチェはこれか。勝ち組にはどこまでも勝ち誇れとけしかけ、負け組には仮想的つまり幻の有能感をもたせ、いずれにしても、自分以外はバカだと他人を見下すことにお墨付きを与える。そんなバイブルとして読まれているわけか。確かにそれならニイチェは使える。
 小熊英二氏のことばを借りれば、「独創的」な思想家は、「後世に再発見されることはあっても、その時代に著名な思想家となることは困難」であり、後者は、「同時代の人びとに共有されている心情をもっとも巧みに表現した者」である。さしずめニイチェは、いま、「自分以外はバカ」という同時代の共有心情の表現者として、戯画的に再発見されているのでもあろう。そういえば、「バカの壁」というのもよく売れた。もっとも、「負け犬」とか「バカ」とかを流行らせた著者らは、世間の読みは誤読だといっているようではあるが。