S.ジョブズ

 痩せてゆく姿に予感はしていましたが、遂にS.ジョブズが死にました。全世界の人々から惜しむ声が寄せられています。私には特に何かをいう資格は全くありませんが、確かに世紀の天才でありカリスマであったことは間違いないようです。まだ若い死に、弔意を表しておきたいと思います。
 ただ、余りにも傑出した存在だっただけに、ジョブズその人というより、ジョブズ現象には、気になることがなくはありません。
 一つは、彼が余りにも傑出した企業成果を上げたことです。彼がガレージから立ち上げたアップルは数年で大企業となり、彼が去ると倒産寸前となり、その間彼がCEOについたピクサーは大成功を治め、彼がアップルに戻ると、アップルは再び急成長して世界一となりました。
 いま、ウォール街はじめアメリカ各地で、余りにも極端な富の偏重に対する抗議のデモが起こっていますが、「民主主義に沿ってたんじゃ、素晴らしい商品なんて創れっこない。闘争本能の固まりのような独裁者が必要なんだよ」(元アップル社員J.L.ガセー:Wikipediaより)という、その独裁者一人の力がこれほどまでに大きいのだとすれば、どんな企業にとっても、数千人数万人の若者をクビにして路頭に迷わせる一方で、一人の若者ジョブズを巨万の報酬で迎えることは、企業の論理として余りにも当然のことということになるでしょう。いまさら何だといわれるでしょうが、ジョブズが企業家として余りにも傑出した天才的存在だったことは、アメリカンドリームというものが乗っているシステムがいかなるものかを、嫌でも思い起こさせます。デモはシステムにまで届くでしょうか。
 もう一つは、彼が余りにも傑出した創造者だったことです。ジョブズを惜しむ声のほとんどが、「彼によってワクワクさせられた気持ち」を告白します。彼は、人々の欲しい物を世界に先駆けて知りそれを形にしていったのではありません。彼が新しい製品を創り出し売り出すことで、人々は自分たちの欲しかった物がこれだったということを感じて、ワクワクするのです。ジョブズはハードとソフトを切り離さず、全てを一体化したまま囲い込んだのでしたが、それはアップルの製品が、「ジョブズの作品」だったことを意味しています。醜悪な「窓」などに比べて、確かにアップル製品はデザインも機能も余りにも美しく洗練されています。ひとつのアイコン、ひとつのボタンの位置にまで、ジョブズの意図がこめられた作品だからです。
 だから、ユーザーは、あくまでユーザー。彼や彼女は、作家ジョブズの創り出した作品をワクワクして待ち受け、ワクワクとした気持ちで触り、そして使います。そこには、新しい創造の喜びに似た気持ちさえあるでしょう。それでもそれは、神から「創造の喜び」を感じられる事物を与えられ、自ら創造していると信じる人間の喜びです。ジョブズのために弔花を捧げる世界中の人々は、ジョブズ<によって>ワクワク<させられた、させてもらった>ことに感謝の気持ちを表すことを隠しません。一体化して提供する商品を、ただ買わせて使わせるだけで、世界中の人々にワクワクした創造の喜びさえ与えうる。それが、神のようなジョブズの、傑出したカリスマ性だったのでしょう。
 ジョブズは死にました。しかし、彼のような傑出したCEOを待ち受ける企業、彼のようなカリスマ的な商品作家を待ち受けるユーザーは、残されたままです。