アメリカ

 トランプはまだ諦めていないようですが、次期大統領はバイデンに決まったようです。それでも、あれほど多くの人々がトランプに投票したのでした。もちろん、棒読みだけで何も答えず強権をますます強めてゆく菅政権の支持率が高い理由も分からないのに、他国のことなどもっと分かりませんが。
 戦後間もない時期のアメリカで、ある警部補がマーロウにいいいます(R.チャンドラー村上訳「ロング・グッドバイ」)
 「~ 途中のどこかでいろんな人間が踏みつけにされてきたんだ。小さな商売をしている連中は足下の梯子をはずされて、二束三文で店を手放さなくちゃならない。真面目に働いている人々が職を奪われる。株価は操作され、代理委任状が宝玉品みたいに金でやりとりされる。多くの人々にとって必要だが、金持ちにとっては都合の悪い法案の成立を妨げるために利権屋や弁護士が雇われ、十万ドルの報酬を受け取る。そんな法案が通ったら金持ちの取り分が減っちまうからさ。でかい金はすなわちでかい権力であり、でかい権力は必ず濫用される。それがシステムというものだ。そのシステムは今ある選択肢の中では、いちばん<まし>なものなのかもしれない。しかしそれでも~ 」
 その「システムというもの」について、ルトガー・ブレグマンは、「私たちが暮らす民主主義社会-"選挙に基づく貴族社会"」、という言葉を使っています(「ビッグイシュー英国版」への寄稿文)「この社会制度は頑強とは言えず、あらゆる不正が起こるほど法規制は甘く、今や政治は"恥知らずの生き残り競争"となってしまっている」、と。それでも「今ある選択肢の中では、いちばん<まし>なものなのかもしれない」。

 マーロウが生きた時代には、「システム」を裏から牛耳っていたのは、ギャングや悪徳政治家や富裕資本家といった、見るからに分かりやすい連中でしたし、マーロウが立ち向かうのも、利権とか搾取とか暴力とかいった、見るからに分かりやすい「不正義」でした。
 しかし、現在の「貴族社会」では、ヘッジファンドのトップマネージャーたちでもGAFAの創業者や経営者たちでも、コンプライアンス意識が低くない、良識あるリベラルな教養人であって構いません。多様性への寛容と反差別、人類の未来と環境との共生、教養ある知性と自由な創造性、そしてまたグローバリズムリベラリズム、などといった、「私たちが暮らす民主主義社会」を持続的に支えてゆくために<望ましいと考えられている>、ほとんどのモメントが、バイデンの支持者側に集まりました。バイデンは、副大統領の他にも、女性や非白人など多様な人材を積極的に起用する予定のようです。
 ラストベルトや南部の農場などで、差別意識に凝り固まった「過去」のマッチョな世界に今なお生きる白人男性たちが、ITと金融と多様性へとシフトした「現在」のシステムから置き去りにされる不安に怯えて熱狂的にトランプにすがる、というだけでは説明がつきません。「置き去りにされる不安」はより広く深く存在するのでしょう。
 おそらくそれは、マーロウの時代のような「システム」につきまとう「不正義」に対する怒りではなく、「私たちが暮らす民主主義社会」という「貴族社会」システムそのものの「正義」に対する深く激しい不満のようです。例えばこのコロナ禍で、人々は「二束三文で店を手放さなくちゃならない。真面目に働いている人々が職を奪われる」。その一方で、実質経済が大打撃を受けているのに、量的緩和で「株価が操作され」、史上最高値となっていることを、誰もが知っています。イエレンに財政を担当させる予定らしいバイデン穏当リベラル政権は、<1%の資産=99%の資産>という超格差が今後もさらに拡大してゆくという「現状」を、不正義だとはしません。それだけではなく、何よりそのような超格差の拡大を不正義だとするサンダースをはじめとする「左派」あるいは「急進派」の人々もまた、バイデンの側に立ったのでした。「「アカみたいなことをいうじゃないか」、と私はいった。もちろんからかっただけだ。」(マーロウ)
 おそらく、反知性的で粗野で無教養で非寛容で支離滅裂なトランプを支持する人々は、知性と洗練と教養と寛容と理性が「超格差システム」を動かして資産を増やし続ける側に集まっていると見て、トランプの反知性的で粗野で無教養で非寛容で支離滅裂なエネルギーが何かをぶち壊してくれることに賭けようとしたのでしょう。もちろん、自ら超富裕者である?トランプが、どこまで破壊する気があるのか、できるのか、は全く別問題ですが。
 それでも「希望はある!」、トランプになど頼らなくても、と、前述のルトガー・ブレグマンは力強くいいます。彼の提唱するのは、富裕層への課税によるユニバーサルなベーシックインカムの実現です。飢餓人口7億というこの世界で、人類全てに基本生活費を保証することは、確かに画期的なシステムの転換になるでしょう。この提言に、賛同する人が増えるはずだし、増えつつある、と彼はいいます。「希望はある」のだ、と。

 けれども、「絶望が虚妄であるのは希望と同じだ」という魯迅のことばなどを思い出すのもふさわしくない低レベルの話ですが、竹中平蔵の如き人物が、またぞろ菅に重用されようとしているようで、「ベーシックインカム」などと言い出しているとのこと。「全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」という進言と同じレベルで、竹中もいっているようです。「国民に一律月額7万円のベーシックインカムを保証すれば、すべての社会保障問題はパッと消えますよ」。7万円を国民全員に支給して、あとはそれぞれ自力で何とかすればよい。その代わり、すべての年金もやめる、生活保護もやめる、その他の社会保障も全部やめる。これで差し引き予算が減る、と。
 仮にもしも、破滅に向かうこのシステムが多少なりとも変わる日が来るとしても、仮にそうであるとしても、それは希望の日なのか絶望の日なのか、今のところ、私などにはもちろんまるで分かりません。