『提督回想録』(抄訳の3)

 (承前。1回の予定を越えて長くなっています。山本美香氏の訃報を聞くにつけても、こんな抄訳駄文を引き延ばすのは気が引けますが、乗りかかった船。申し訳けありません) 「いえ、さきほども笑われましたように、私は、お二人のような日本文化についての教養が全くない、ただの海軍士官です。文化のことは全く分かりません。ただ、私の祖父はシチリア島からの移民ですので、「透明な光」といわれたとき、地中海の美しい空と海と島の風景を思い浮かべたのです。そして確かに、日本の風景は、それと対称的でした」。
 「対称的といわれましたか」、とTani氏が尋ねた。「ええ、私が艦橋から、近づく日本をはじめて見たとき、空と海の間に見えてきたのは、陸地とも島とも言いかねるような、はっきりしない霞あるいは靄でした」(訳注=以下の原文には fog, mist, haze が混在しているが、適宜「霞(かすみ)、靄(もや)」と訳しておく)。「その日は曇っていたのですか」、とスミス氏が口を挟んだ。「いえ、春の、ある晴れた日でしたよ。地中海なら、晴れた日には、透明な空と海の境にある遙か遠い島でも clear に見ることができます。でも、日本は違っていました。いや、実に印象的でした」。「そういえば、clear という言葉も clean に透き通っていますね」、とスミス氏がいった。「ところが日本はクリアではなかったというのですね。近づいても同じ印象でしたか」。「もっと印象が深くなりました。近づいて行くと、やがて、ぼんやりした靄の上に浮かんでいる富士山が見えました。さらに近づくと、靄の中に、霞のような満開の桜が見えて来ました。靄と桜が一体となって、いや、ほんとにきれいな風景でしたよ」。「ハハハ、芸者ガールの次にMt.富士と桜ですか。三位一体のニッポン・イメージですな」、と Tani 氏が笑った。
 「また笑われましたが、無理にそういうイメージに当てはめたわけではありません。ともかく、私たち海軍の者は、いつも遠くのものを見分ける訓練をしているのですが、はじめて見た日本は、遠近感覚が効かない不思議な風景で、それがとても印象的だったのです」。「なるほど」というスミス氏のことばに勇気づけられて、私は続けた。「私などがいうのも何ですが、さきほどいわれましたように、日本の社会は、古い Maiko-girl が昼間歩くように変わって行きつつあるのでしょう。もしかすると、変化は加速しているのかもしれません。でも、ぼんやりとした日本の美しい自然は、これからもずっと変わらないのではないでしょうか」。
 スミス氏がいった。「そういえば、自然だけでなく、文化や社会もぼんやりとあいまいだ、私もあいまいだ、あいまいな日本の私、などという人もいますね」。「で、日本語は論理的じゃない、とかいったりですね」、と Tani氏がまた笑った。私はあわてて口を挟んだ。「いえ、そういうことは私には分かりませんが、私はただ、日本と地中海とでは、遠近感覚や、景色のクリア度が違うという、海軍の者としての印象をお話しただけです」。
 「いえ、あなたのことを笑ったのではありませんよ」、と Tani氏は真面目な顔に戻っていった。「あなたのおっしゃることはよく分かります。例えば、西洋の遠近法が、遠くを見通せる透明な地中海の風景から生まれたのは事実でしょう。そして、私たちの国では、線遠近法は発達しなかった」。
 「そういえば」とスミス氏が話を引き取った。「私は前から疑問に思っていたのですが、日本の図絵や絵巻物で、近くと遠くを隔てる、雲のようなものがありますね。あれはやっぱり霞や靄なんでしょうか」。「どうでしょうか。あれは、必ずしも空間的な遠近だけではなく、時間的な遠近も区切りますから、抽象的な記号なんでしょうが、でも、もともとは、おっしゃるように、雲か霞なんでしょうね」。
 また、私に分からない話になった。さすが教養あるスミス氏の質問はちがう。ただの海軍士官に思いつけるのは、「カサブランカモンブランの白も、何もない透明なブランクなんでしょうか」とか、「白ワインは透明ですが、日本には不透明な「白酒」などというものがあるのでしょうか」とか、その程度の幼稚な質問である。これ以上笑われたくないので、もちろん私は、そんな質問はしなかった。(続く)