空気について 9

 「空気について」などと大きなタイトルを付けてしまったが、社会学者でも評論家でもなく何か実践運動をしているわけでもない。理論もデータも知らず現場も知らない。怠け者で世の中の動きにうとい。だから、書いていることは、信用してもらうに足りない。信用してほしいとも思わないが、ともかくその程度のものである。
 そんなわけで、「一強」政治状況から始め、「公正世界仮設」や「正常化バイアス」という言葉に触れた記憶があるが、そこからの筋は通っていないに違いない。とはいえ、前を読み返す気はないし、先の見通しがあるわけでもない。ただ、寝る前に、その場で少し書き継ぎ書き足しているだけである。
 ともかく、「嫌な空気」があり、その空気に乗りまた空気を吐き出す発言や書き込みや行動がある。そして、弱者を叩く空気を許容し助長し足場にする政治が、空気のように広がっている。
 人々が過酷で悲惨な状況にあるのを見ても、「社会的に不公正」な事態と受け止めない。彼ら自身が招いた事態であり、責任は彼らにある。そう考えることで、「この社会は公正で正常」だという観念を維持することができて<安心>する。そんな心理的処理は、あるかもしれない。何とかミクスも、大国トモダチ韓国カタキ外交も、うまくやっているではないか。Youは日本に感嘆している。
 あるいはしかし、そうばかりとはいっていられない。長期沈下は止まらずこのままではオワリだという<不安>。沈む日本なら世界に羽ばたくまでだと嘯く月収1億円には遠いが、学歴も能力もキャリアもあってこれほど頑張っている社会の中核、平均的な30万円が、それでもシャッター街に残されるのか。
 いずれにしても、<安心>と<不安>を背負った30万円が、14万円の「アンダーグラウンド」(橋本健二)階級を、自己責任と冷たく差別し切り捨てる空気がある。としても、だから14万円が、その鬱屈と鬱憤を、例えば衝動的な犯罪やネトウヨ言動に吐き出しているのだろうか。いや、むしろそうではなくて、中核的担い手を自認する30万円平均諸氏こそが、「14万円オワタ」「韓国オワタ」と囀ることで、<不安>から逃れて<安心>しようとしているのではないのだろうか。(続く)