歴史の中の慰安婦

 仮に、警官からかつて実にひどい暴行を受けた、と生々しく証言する人がいたとします。「当時の暴行が私の人生を変えてしまった。今も深い心の傷となって苦しんでいる。このままでは死にきれない」。被害者だという人は、そしてその身内の人たちは、警察に対して、かつての暴行を認めて謝ってほしい、と主張しています。
 しかし、警察では、そんな暴行があったとは認めず、もちろん全く謝りません。
 「今とは時代が違い、当時の警察に多少横暴で横柄なところがあったことは、遺憾ながら不幸なことである。しかし、わが警官がそんなひどい暴行をしたという証拠はない。公務記録に残されていないのだから、公務として暴行はしていない。たとえ警察の周辺で何か怪我をしたとしても、それは自分で転んだか、民間人どうしのケンカがあったからだろう。とにかく、公的な証拠がない以上、謝る筋合いはない」。と、警察の態度は、一貫しています。
 さて、もし私たちが、警官の身内である場合はどうでしょうか。当然、警官がそんなひどい暴行をした筈はない、と思いたい、いや思うに違いありません。
 「そりゃ当時の警察のことだから、多少手荒なことがあったかもしれないが、それはどこの国の警察も同じであって、うちの警察だけが非難される筋合いはない。こちらに暴行の公式記録が保管されているのなら別だが、そんなものはないそうじゃないか。一時期、暴行に加わったという警官の証言があると報道されたらしいが、その報道は間違いだったというじゃないか。証拠はゼロだ。実際に暴行されたと「被害者」がいい張っているらしいが、いくら生々しい証言だったとしても、そんなものは、被害者側が一方的にいっているだけだから信用できない。はっきりいえば、ウソだ。なかった暴行をあったとウソをついて、わが警察を、ひいてはわれわれをしつこく非難するとは、実にけしからん。」・・・とまあ、私たちが警官の身内である場合には、多分そんな風に思うでしょう。
 一方、逆に、私たちが被害者の身内である場合はどうでしょうか。その場合は当然、立場が変わって、被害者が警官からひどい暴行を受けたというのは否定できない事実だ、と思うに違いありません。
 「証拠がないなんて、どういうことだ。現にこうして、被害者自らが、つらい体験を細かく証言しているじゃないか。当の本人が証言しているのに、暴行はなかったなどといい張って謝りもしないというのは、全く信じがたい態度だ。本人の証言はウソだというのか。ああ、くやしい。たとえ警察側に公的記録がないとしても、それは、警察がもともとあえて記録しなかったのか、記載していたが時代が変わった際に破棄したのか、どちらかに決まっている。権力組織の力でウソを押し通して弱者の証言を抹殺し、自らの権力犯罪を隠そうといているのだ。昔の警察組織の横暴さを一般論として認めるのなら、公的記録だとか何とかいう前に、被害者の苦しみを人間として受け止め、最低限でも、公的記録にはないが事実はあったかもしれないと、なぜ率直に謝れないのか。」・・・とまあ、私たちが被害者の身内である場合には、多分そんな風に強く思うでしょう。
 以上、いささか乱暴なまとめですが、では、これ、第三者の視線ではどうなのでしょうか。完全な第三者などいないにしても、もし私たちが、警官の身内でもなく被害者の身内でもなく、あるいはどちらにも強い身内意識をもたないとすれば。最終的な判断はもちろんできないでしょうが、一体、どちらの言い分の方に、より多く納得できるでしょうか。そして、どちらの方に、ウソかもしれないという余地が大きい、と感じるでしょうか。
 先ず、警察とその身内のいうことが正しくて、公務暴行件はなかったのかな、と考えてみましょう。そうすると、被害者証言はウソだということになり、だとすると何故そんなウソをつき続けるのかという疑問が起こります。普通考えるとカネということになるでしょう。しかしそうすると、人は、カネ目的で、あるいはカネ目的でなくて他の理由でも、こんなつらい内容のウソ証言をし続けるのだということを、リアリティをもって(つまり、自分もするかもしれないと)想像し、納得しなければなりません。これは、平凡な人間には、なかなか難しい。
 では、今度は逆に、警察の方が真実を隠蔽しているということはないだろうか、と考えてみましょう。その場合は、警察は何故そんなことをしたのだろうか、という疑問が起こります。そもそも警察とか軍隊とか公安組織などなどの公権力は、国を守るためとか組織を守るためという理由がつけば、真実を隠蔽するために個人を犠牲にするものなのでしょうか。それとも、そんなことはする筈がないのでしょうか。しかしこのことについては、映画やドラマでくりかえし、権力組織がいとも簡単に邪魔者を殺し内部告発を封殺して組織を守ろうとする話が、リアリティをもって描かれます。その影響などで、この件についても、当時の公権力のことだから、なおさら隠蔽工作なんて日常茶飯事だったのではないだろうか、と比較的容易に想像されてしまうでしょう。警察とその身内にとっては分が悪いことですが。(続く)