三木清:獄死前後4

 (面倒なので、文体を変えます)。三木の獄死が9月28日であったこと、その死因がひどい疥癬から来る腎臓障害にあったこと、それらは多分確かだろう。しかし、では死に際がどうであったかについては、三つの証言がある。先に挙げた死亡記事とは別に、新聞には後に詳しい記事が出るのだが、それによると、手当てをした刑務医官あるいは看守に看取られて死亡した様子がうかがえる。それがひとつ。二つ目は、かなりドラマチックなのだが、三木は突然ベッドの上に立ち上がり、それからドスンと倒れて死んだ、というのである。ただこれには、「誰も見ていないところで」ということばがついており、とすると、倒れる音を聞いて看守が駆け付けたということだろうか。あるいは、室内には誰もいなかったが、倒れる三木を誰かが格子の外から見たということなのだろうか。いや多分そういう詮索は無駄で、<いかにも三木らしい死に際>だという誰かの想像が事実証言に転化したものではないだろうか。そして三つ目は、今のところこれが実際の状況に近いのではないかと私は‹想像›しているのだが、看守が、ベッドから転がり落ちて死んでいる三木を見つけた、というのである。なお、後で上記新聞記事を検討するが、三木が死んだのは病室ではなく普通の独房らしく、当時の豊多摩刑務所の房内の造りは知らないが、「ベッド」といっても西洋式のものではなく、和式の「寝床」であっただろう。