帝国の慰安婦:安堵の共同性7

 いつものことながら、寝る前に半分睡眼で書くブログ日記ですので、続き物といっても、前を読み返すわけでもなく、行く先も一貫性もなく申し訳ないのですが、何を書いていたかというと、そういえば、秦氏の発言のことでした。
 事実関係を確認する能力は私にはゼロですが、ともかく秦氏は、こうは<いわなかった>のでした。「東北では、貧農たちが土地を奪われ小作料に苦しめられ天候不順が重なって、娘を売るような事例も起こります。我が手で我が子を人買業者に引き渡さねばならなかっというのは、娘を暴力的に連行されるよりも、ある意味もっと辛くもっと哀しいことだったでしょう。当時の社会構造が、農民たちに地獄の選択を強制し少女たちに地獄の仕事を強制したのでした。奪われたのは土地だけではありません。言葉を奪われ、名前を奪われ、国を奪われ、そして、異国語を強制され、異国語風の名前を強制され、異国の神の礼拝を強制され・・」。
 「歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。〜細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから」(村上春樹)、というのは、多分そういうことなのでしょう。
 しかし実際には秦氏は、「侵略したという大筋の事実」には触れずに無視して、「親が連れて行った」(ケ
ースがあった)ということだけをいい立て、そして、情けないことにわれわれ視聴者は、それを聞いて、「なんだ、連れて行ったのは親であり朝鮮人業者だったのか」と<安堵>し、政府間の示談で過去は水に流そう、謝罪は終わりにしよう、過去は忘れて「和解」しよう、という首相を、強く支持するのです。(続く)