空気について11 → フェイク

 (いい加減に歩いている間に元の道から外れてきた。タイトルの縛りをやめる。)

 (承前)ところで、「生活保護のうちって~病院代がタダ」、というのは<知識>である。ちなみに、「タダ」というのは間違っているのだが、正誤は差し当たり問題ではない。というか、このことが問題なのだが。

 だいたい、知識がある、ということはどういうことだろうか。

 大学の教室で、「ここ百年の間に日本と戦争した国は?」という質問をすると、多くの学生がアメリカ以外の国に〇をつける、と池上彰氏がどこかで書いていた。(ちなみに氏は、学生の無知を嘆いたり笑ったりするのではなく、記者として「訳が分からず面白くもないニュース」を書いてきた責任を感じて今の仕事をしているらしいが、それは横道)。

 人は、戦争を<知らない>ゆえに気安く「戦争で取り戻せばよい」と発言したりする。「無知が役立ったためしはない」とは、大英図書館に通い詰めた人の至言である。

 そうではあるのだが・・

 子どもは天使だというのは嘘で意地悪もすればイジメもケンカもするとしても、しかし例えば民族を理由にした仲間外れをするには、親が民族差別という(悪)<知恵>を授けなければならない。
 「よく知らんけど、無理に連れてきてメチャ働かせたんなら、昔のことでも補償してあげればいいじゃん」というのは、素朴で素直なのか無知なのか。そういう友人を、「お前、反日か!」と罵倒する男は、例えば「日韓請求権協定(略称)」という<知識>を凶器として使う。
 もちろん、その場にさらに、「協定は個人の請求権を縛らない」という<知識>で反論する者がいるかもしれない。「生活保護の家ってぜったい得だよな」といわれた女の子は、生活保護の理念や法律についての<知識>を深めながら、力強く歩みだす。
 
 ただし、ここに、<無知>を惑わす<生半可な知識>→<生半可な知識>をたしなめる<正しい知識>あるいは<確かな知識>。・・・といったプロセスを見るには、正しさや確かさについて、一つの筋が共了承されなければならないのだが、それが結構難しい。
 「請求権」の範囲のような政治的な対立事例だけではない。科学者たちが共承認している<科学知>も「フェイク科学」といえば相対化して拒むことができる。アメリカのいくつかの州では、進化論はフェイク科学である。記者たちが裏取りした<事実知>も「フェイクニュース」といえば拒むことができる。

 便利な時代、厄介な時代になったものである。(続く)