敗走記

 大昔の「王」は、理由を言いませんでした。理由を言えば理由に「従った」ことになるからです。理由を言わないことで、王は、自分が何物にも従わない絶対的な権力者だということを見せつけます。一方、理由を知らされない臣下は、また人民は、王の意図を「忖度」して自己規制する他なく、卑屈な行動を強いられます。

 問答無用の菅「王権」の学術会議会員任命拒否については、次々と批判の声があがっています。それらについては、全くその通り、という他ありませんので、少しだけ別の面から書こうと思います。といっても、ありふれたことなのですが。

 繰り返しますが、全く理不尽な暴挙であって、批判の声があがるのは当然なのですが、とはいえ、全国の大学の学長が教授会が一斉に抗議声明を出したり、学生が各地でデモやストをしたり、学会や研究団体の抗議の決議が陸続と続いたり、といった気配はなく、当の学術会議でも、「要望」書は出したようですが、要望が通らない場合には政府関連委員を一斉に辞任することを決めたとか、抗議脱会する会員が続出するとか、そういった事態は起こっていません。来たるべき国会での野党の追求も、木で鼻をくくった答弁に直面するでしょう。

 マスコミもそれほど頼りになりません。
 「このところ急に世の中の空気が変わってきましたよね。特にメディアの世界では、政権政党から~要望書が出されたり、~総務大臣がテレビ局に対して、電波停止を命じる可能性があると言及したこともありました。~確実に何か異変が起きている。これは今書かないと手遅れになるかもしれないと思いました。」太田愛:『天上の葦』の執筆動機について)

 マスコミ依存のわれわれ庶民も頼りになりません。選挙になれば王党が圧勝するでしょう。
 「力のある長いものに巻かれれば自動的に得になる。実際はそんな保証などないのだが、多数派に属する安心感は得られるだろう。」
 「巻かれろ 巻かれろ 大きな力に / アタマの中を真っ白に 抵抗しないで / 巻かれろ 巻かれろ 大きなハッピーに / 天から降る蜜の雨 君よ飲み干せ
 まさに日本中が、高い支持率に支えられた長期政権の大きな力に巻かれていくさなかのメガヒット曲だった。「蜜の雨」なんか一滴も落ちてはこないのに・・・」(木村友祐『幼な子の聖戦』) 

 そもそも国の金で存立している学術会議の「権威」のありようは言わないにしても、独立といいつつ既に任命制に変わり、任命は形式的だといいつつ既に複数候補の名簿提出を受け入れています。そのつど抵抗もした上で結局容認させられた経緯あっての今回の事態です。王権の方からいえば、かなり前から一歩三歩と進めて来ての今なのでしょう。

 時を同じくして東大では、新総長就任を巡って、財界人が入った選考会議の選考が不透明だと揉めています。何事にせよ昔は良かったと一方的にいう論には与しません。昔には昔の不理不尽があり、今には今の理不尽があるというだけの話です。しかしともかく、昔の教授会のありようは今は見る影もなく、全国的にトップダウンの大学運営が常態となり、「外部」を入れた少数の「トップ」が、人事権を握り運営権を振るうというのが、もはや「時代に即応した効率的な大学経営」として定着しています。

 「学問の自由」はいわゆる自由権ですが、もうひとつ社会権というのがあって、つまりは生存権、生活権、平たく言えば食う寝る権利です。なのですが、歴史的にも原理的にも、自由は食う寝る生存より先だということになっており、つまり、犬は生きるために飼い犬になるが、人は自由のために死ぬのだ、といわれています。確かに革命も起きるのですから、時に人は自由のために死にますが、けれども、いつもそうとは限りません。いや、たいていそうとは限りません。
 「そうなのだ。仕事、つまり「食いぶち」には、「信念」だの「友情」どのを無効にする破壊力があるのだ。」(木村友祐) 

  学問の「自由」があるなら、学問にも「生活、生存」があります。人は、自由がなくて死ぬこともありますが、「食いぶち」がなくなれば確実に餓死します。既に一歩三歩を許して来たのは、許したのではなくても押し込まれ来たのは、学問研究の「生活、生存」権を支える「食い扶持」の絞り上げが効いて来たからでしょう。犬も人も食べ物がなければ餓死するように、天文学研究は望遠鏡がなければ餓死する他ありません。
 少し前に、文科省の官僚が、予算カットによってノーベル賞山中教授の研究の「息の根を止める」権限をもっていることが明らかになりました。山中教授はマラソンで寄付を募って研究費の補填をしているようですが、そういえば、確か徳島大学の教員が、研究費がゼロのため、クラウドで80万円の研究費集めをしたというニュースもありました。
 研究費を全員ゼロにして、一旦息の根を止める。そして、「競争的重点配分」とか何とかいう名で、めぼしい犬だけを拾い上げて餌をやる。どこに餌を撒くのかを決めるのは王の臣下です。文科省だけではありません。各省庁がそれぞれテーマに叶ったところに研究費の餌をやる。例えば、先に触れたテーマでいえば、文化庁とか経産省とかが、クールジャパン関連の「研究」に餌をやって、関連予算獲得に利用する、など。

 生きたければ、「外から」食い扶持を稼げ。「産」と提携し、あるいは「官」に迎合して、研究費を頂くために、膨大な嘆願書いや申請書を作成して、いかにこの研究が貴企業の、貴省庁の思惑に役立つか、先を争って審査をお願いし、お眼鏡にかなってお許しをえたところが食い扶持を頂いて生き延びる。
 ここまでは、もはやシステムが完了してしまったといえる現状ですが、ただ防衛省の軍需研究だけは、困ったことに応募が少ない。学術会議が歯止めをかけるからだ、と臣下が王に進言したのでしょうか。 

 ・・・・と、昨日ここまで書きかけていたところ、「任命拒否」の問題を「行政改革」の問題にすり替えるという手を打って来たようです。先に、「そもそも国の金で存立している学術会議の「権威」のありようは言わないにしても」、と飛ばした隙間を突いて来たわけで、さすがに百戦錬磨の官僚です。といいつつ、菅王「私は99人の名簿しか見ていない」。それでは、だれが削除したのか。しかし、追求を続ける記者が記者クラブの住人にいるのかどうか。

 書く気がなくなりましたので、中途半端ながらこれで終わります。