戦争はどうして起こるか

 戦争が起こっている。
 イラクに軍事侵攻して戦争を起こしたのはアメリカだったが、今回、ウクライナに侵攻して戦争を起こしたのはロシアである。ただ、前回はフセインが悪役とされたが、今回はプーチン率いるロシアがまごうかたなき悪役とされ、ゼレンスキーは完全な善役ヒーローとして、各国の議会で演説してスタンディングオベーションを受けている。
 不公平だといおうとしているのではない。アメリカをオカミと仰ぎG7が仕切る世界に住んでいる以上、当然のバイアスである。
 もちろんプーチンとロシア軍の肩をもつつもりも毛頭ない。バイアスのかかったニュースであっても、ロシア軍の侵攻から戦争が始まり、ロシア軍の爆撃や砲撃で、ウクライナの市民が殺され家が壊されたことは間違いないだろう。暴虐なロシア軍の暴挙である。凶暴なグリズリーが突如平和な村を襲撃したようなものである。
 しかし、もしも凶暴な熊の襲撃だったなら、村営放送局から村長は声をからして呼びかけたであろう。「逆らわないでください。立ち向かわないでください。そっと家を離れてください。何より命が大事です!」、と。「津波が来ます。逃げてください。家を離れてください。何より命が大事です!」。
 私はTVニュースを見ないので、間接的に知っただけだが、ある番組でテリー伊藤が、「罪のないウクライナの人たちの命が奪われるのがつらいです。抵抗をやめた方がいいんじゃないですか。」と発言したところ、ウクライナの人が「黙って殺されよというんですか」と強く反論したという。無抵抗なら殺されるというこの反論の仕方は、軍事抵抗が正義だという意味なら「正しい」だろうが、事実としては正しくない。
 例えばの話であるが、ゼレンスキーが、もっと早く、自分の職を賭けて、「NATO不加入中立、東部2州の自治権保障」等といっていたなら、戦争は起こらなかっただろう。戦争は、プーチンが強大なロシア軍を国境を越えて侵攻させたこと、そして、ゼレンスキーが無抵抗敗北より抵抗戦争を選んだことによて、始まったのである。
 ゼレンスキーは、何より国民の生命を守るために、隠忍涙を呑んで交渉の席に着く代わりに、抵抗戦争のヒーローとなる道を選んだ。凶暴な熊の侵入を前に、「何より命が大事です。逆らわないでください。私が交渉します」という態度をとらなかった。
 ゼレンスキーを非難するのではない。彼は「正しい」、ということを私たちは疑わない。私たちは、強大な津波や凶暴な熊の襲来には「命を守るために抵抗しない」ことが「正しい」としながら、人の襲来には(正確には他国人の襲来には)、「命を守るための無抵抗敗北」より「命を懸けた抵抗戦争」を選ぶことが「正しい」、と信じているのである。