山本昌と清原和博

 四十歳をもつて初老とすることは東洋の智慧を示してゐる。それは單に身體の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味してゐる。
 例えばそのように、三木清が書いた(「人生論ノート」)のは、平均寿命が多分40代で、その上もっと若い多数の死が日常的であった時代のことである。
 今日、山本昌の投球と胴上げを見た。200勝! しかも完投である。
 昨日、清原の三振を見た。だが早くも今日、彼もヒットを打ったらしい。
 前日、「無様なことになるかもしれません」といっていたが、そのように終わる予感もあって、せめて1本ヒットを打たせてやりたいと思っていた。大石監督もいわく「1本出てよかった。相手投手がびびっていたね」。もちろん彼の迫力に対してでもあろうが、それだけでなく、昨日の投手が「ストレート以外投げにくい雰囲気」だったといった、その意味でもあったろう。今日センターにはじき返したのも、ストレートだったとのことである。(ただし、調べてみるとシュートも投げている=余談ながら、こういうことを簡単に調べることができるというのもすごい。