浪花節と真剣勝負

 (夏休みといいながら、惰性ですね)
 清原に打たれた投手を、王監督が叱ったそうで、もちろんそれは当然のことです。「1本打たせたい」などというのは、浪花節であってもスポーツではないということでしょうから。といっても、文字通り真剣を振って練習したかつての王選手にふさわしい、「浪花節ではない真剣勝負」というのも、それはまたそれで別種の浪花節で語られるのが見せ物スポーツの宿命であって、それを拒否することはできません。
 見せ物スポーツどころか、何より純粋一途な真剣勝負が期待されているように見える高校野球でも、かつて「勝つ」ために松井を全打席敬遠したチームが全国的なバッシングを受けたこと、ご承知の通りです。多くの人々は、一敗すると後のない「真剣勝負」だからこそ敬遠したのだとは納得せずに、高校生だから勝敗にこだわらずに真っ向対決することこそ「真剣勝負」だなどといったわけですが、本音はもちろん、松井のホームランを「見たい」という「見せ物高校野球ファン」の勝手な思惑にあったのでした。「見たい」というのはもちろん大いに結構ですが、正直に「見たかった」といわずに「高校生らしくない」「真剣勝負を避けた」などとバッシングすることで、多分相手チームの監督や投手は、かなり傷付いたのではなかったでしょうか。
 ちなみに、真剣勝負といえば宮本武蔵ですが、(私は「バガボンド」というのは読んでいないのですが、)武蔵にとって「真剣勝負」とは、どんな手を使っても「勝つ」ことであり、たとえ時に卑劣といわれようとも、意に介することはありませんでした。武蔵なら、問題なく全打席敬遠したでしょう。などと書くと、そもそも「武士道」とは、ということについても触れたくなりましたが、今日はやめておきます。
 蛇足ながら、「浪花節的」ということばは、今もそれなりに流通していますが、「浪花節」そのものを聞いたことのある人は、最近どうなのでしょうか。