船賃と舞妓

 ところで、またまた前回にはつながってはいないのですが、ご承知のように高橋氏は明治の文人に親しく、教師をされている大学で、今時の学生に、「金色夜叉」の映画を見せては苦笑失笑爆笑を買い、「舞姫」を読ませては「ジコチュー」でおしまいにされ、といったご苦労を重ねられているようです。
 確かに今となっては、「舞姫」など、ジコチュー・イイワケ小説だといわれても、反論しようもありません。時代といえば時代です。
 そこで話が変わるのですが、今はフルカラーで再刊されているらしい、関川夏央谷口ジローの名作『坊ちゃんの時代』では、何巻目かで例のエリスが颯爽と登場して大活躍します。もちろん、鴎外が横浜港に着いた僅か4日後に、ドイツから女性が来たという、有名な話を踏まえてのことです。
 ところで、マンガのエリスは、滞在1ヵ月の間に颯爽大活躍をするのですが、以前から気にかかっているのは、彼女は船賃をどうしたのだろうかという、下世話な疑問です。
 マンガを読んだのは昔なので、細部は忘れていますが、ともかくエリスは、知性も教養もある女性です。
 しかし、当時のドイツから見れば、日本など、はるかな海の彼方、1か月以上もの船旅をしないと行けない未知の国です。おそらく船賃は、相当の額でしょう。
 マンガはともかく、もしも来日した女性が、裕福な上流の子女、今の言葉でいえばセレブお嬢様なら、船賃など心配しなくとも親が払ってくれるでしょう。だがもしそうなら、そんなセレブ親が、大使館、貿易商などの伝手を通して、あるいは手紙で、先方との話も付けず、一人の供も付けずに、大事な娘を、海の彼方に送り出すとは考えられません。
 また、当時としては珍しい高給取りの職業女性だったなら、たとえかなりの貯金があってそれを崩したのだとしても、職を失わない限り、長期休暇を確保するのが難しいでしょう。
 もちろん、そんな昔でも、颯爽と一人船旅をする女性はいたでしょう。と、思い出すのは、時代は少し後ですが、例えば夜の「モロッコ」に着いたマレーネ・ディートリッヒです。「おひとりの旅で、お困りの時は・・」と渡された紳士の名刺を、その場でちぎって海に捨てる・・・、実に格好いいですね。で、彼女の職業は舞姫、いや歌手でした。
 知りませんが、「舞姫」というのは、鴎外の造語でしょうか。だとすれば、さすがにうまいですね。普通なら、踊子、舞子とするところでしょう。あるいは、舞妓。
 ここでちょっと脱線しますが、「妓生」ということばがあります。いわゆる「キーセン」ですが、例えばWikipediaでは、こう説明されています。「朝鮮国に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するために準備された女性」。例の「喜び組」というのはどういうものか知りませんが、広辞苑で「官妓」と書かれているように、いうならば外交接待楽技公務員なのでしょう。本来は。
 一方、日本の「芸妓」については、「舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、京都では芸妓とよばれる」。とあります。
 並べてみると、「妓生」は公務員で、一方「芸者、芸妓」は民間従業員ですが、宴席に侍って芸と接待を担当する職業女性という点では同じです。
 ところが、Wikipediaでは、それぞれ後の部分に、かなり違いのある記述があります。
 「妓生」については、官妓ではあるが、「しかし実際の妓生の位置付けは芸妓を兼業とする娼婦である」、と断定されます。一方「芸妓」の方は、逆に、「現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする芸者が売春を行うことはない」と、親切に付記されます。もっとも、続けて「地方の温泉地等ではコンパニオンと呼ばれる派遣の芸妓などが存在し、また俗に枕芸者と呼ばれるものも一部に残っている」、とあるのですが。
 知りませんが、おそらく間違ってはいないのでしょう。しかし、実態はともかく、「娼婦、売春」との距離の記述に関して、「朝鮮国」の妓生や「地方の温泉地」のコンパニオンと、新橋や京都の芸者、芸妓が、対称的に書かれているのは、やはり少し公平性を欠いているのではないかと感じますが、どうでしょうか。(続く)