世はこともなく

 何となく続きですが、甚だ僭越な個人的感想ながら面白くなかったというのは、多分、作家や作品の責任ではなくて、世の中が面白くないからなんでしょう。いや、これはこれで実は面白いからなんでしょう。
 ずっと昔、「芸術は爆発だ」というのが口癖の、面白い人がいましたが、その人も万博という権力と金力の合同イベントに身を寄せて、巨大モニュメントに固まってしまいました。それでもしばらくは、あの塔はきっといつか爆発する仕掛けになっているに違いないと、その日を待っていたのですが、結局そんなことは全くなくて、今はただ無様な姿をさらしています。
 そういえば、例えば先日見たイベント展示にも、ただの白いキャンバスがあったような気がしますが、ただの便器やただのキャンバスがかつては爆発危険物のように置かれていたとしても、もはや何十年となく過ぎた昨今では、同じに見えて近寄って見れば細かい何かがギッシリと描かれていたりして、もしかしてこれは「何も描いていない」と「ギッシリ描いてある」の往復を面白いと思うことが期待されているのだろうかなどと好意的に思ってみるのですが、それにしても、世はこともなく過ぎてゆくばかりです。
 芸術は爆発だなどといわれた時代に比べれば、例えば原発の爆発はつい最近のことであり、押さえ込みはことごとく失敗して遂に危険な毒水を海に垂れ流し、瓦礫や廃棄すべき危険物質は処理法も行き先もめどが立たず、避難先から戻れない人々が不安とともに大変な生活を送っている、といった現在であるにもかかわらず、いつの間にか、当時の安全基準が少し甘かっただけで原発事故は大したことではなく、東電の職員は頑張ったのに民主党が被害を拡大し、大変なことが起こり今なお危険だと騒ぐ連中が被害者を苦しめ、脱原発などという連中こそ無責任な非国民だ、というような世の中になっています。
 こうして原発問題も過去に去り集団的自衛権も忘れられ、輸出型大企業と株主だけが儲かるアベノ何とやらの馬脚も問題にならずに過ぎつつあり、ことばだけで女性や地方といってもらえばそれで安心なのか、世はこともなく過ぎゆく時代に、会場の中だけ作品という形だけではあったとしても、せめてこともなき世にこと(異)を立てよう爆発危険物を持ち込もうという気概もなく、いやあったに違いないでしょうが、仮にあったとしても無視されて、お笑いタレント作家に面白ニュースのスポットが当てられ、まあ世の中こともなく流れてゆくばかりです。面白くなき世を面白く、いや、面白き世を面白くなくだったかな。面白くなかったというのは訂正しますよ。今の時代なんだから、こんなもんじゃないですか。それなりに面白かったから、お茶でも飲みますか。